こんにちは、ちあきまるです。
実は最近、長男が体調を崩して、入院生活を送ることになりました。
この出来事を通して、私は改めて「健康であること」や「日常のありがたさ」に気づかされました。
歩けること、食べられること、笑えること—どれも、あたりまえではない。
だからこそ、「今この瞬間を、どう過ごすか」がとても大切なんだと実感しています。
今日はそんな気づきを、私の支えにもなっている江戸時代の名医・貝原益軒の『養生訓』の言葉とともに、皆さんにお届けしたいと思います。
「健康って、当たり前じゃないんだ」と気づいた日
長男の入院が始まってから、私の生活は一変しました。
付き添いの中で目にしたのは、ベッドの上でじっとがんばる息子の姿、そして医療スタッフの皆さんの温かく力強いサポート。
普段なら意識することのない、「座る」「歩く」「食べる」といった行動が、どれほど大きな意味を持っていたのか…そのひとつひとつが胸に沁みてきました。
「ごはんを自分で食べられるって、こんなにもありがたいことだったんだな」
それまでの日常が、どれだけ支えられていたかに気づいたとき、「健康でいられること」そのものに、感謝の気持ちが溢れてきたのです。
養生は、誰にでもできる小さな習慣
そんな中で、私が改めて読み返したのが『養生訓』でした。
その中でも特に心に残ったのがこの一節です。
「どんなに忙しくても、養生はできる」
現代はとにかく忙しくて、気がつけば朝から晩までバタバタ。
気力も体力も削られて、つい「自分を整えること」は後回しになってしまいますよね。
でも、そんな時こそ、ほんの少しだけ立ち止まってみてほしいんです。
たとえば、朝の光を浴びる。
深呼吸をする。
寝る前にスマホを置いて、静かな時間をつくる。
そういった、ほんのささやかな行動も、立派な“養生”になります。
忙しいからこそ、自分を大切にする時間を持つ。
それが結果的に、もっと元気に、もっと軽やかに過ごす力になっていくのです。
自分の“コーチ”になってみよう
もうひとつ、『養生訓』にある印象的な教えをご紹介します。
「自分のコーチにならねばならぬ」
つまり、健康を守るためには、自分自身が自分を導く存在であることが大切だということ。
たとえば、「今日はもう疲れたから、冷たいものをたくさん飲んじゃおうかな」とか、「もうちょっと夜更かしして映画見ようかな」っていうとき。
ちょっとだけ立ち止まって、
「明日の自分、大丈夫かな?」
「今ここで止めておいた方が、体が楽なんじゃないかな?」
そうやって、未来の自分を思いやる“ひと声”をかけてあげることが、健康への第一歩になります。
私自身、つい気が緩むことはあります。
でもそんなときは、「今週は3日だけ早く寝てみよう」など、小さな“プチ目標”を立てて、自分を励ますようにしています。
大切なのは完璧を目指すことではなく、「意識すること」なんです。
子どもと一緒に、習慣を育てていく
こうした養生の考え方は、もちろん子どもたちにも必要です。
でも、子どもはすぐには理解できないし、感情のままに動いてしまうことも多いですよね。
だからこそ、私たち大人ができることは、
「繰り返し、何度でも、やさしく伝えていくこと」だと思っています。
たとえば、「アイスを食べすぎてお腹が痛くなったね」「今日は眠くて遊べなかったね」—そういった失敗も、子どもにとって大事な学びの時間。
そして、「次はどうしようか?」と一緒に考えることで、少しずつ「自分の身体を大切にする力」が育っていくのだと思います。
失敗しても大丈夫。
親子で一緒に、健康について考え、体験し、育てていけたら素敵ですよね。
健康は、未来の自分へのプレゼント
私がこの数週間で強く感じたのは、
「健康な身体は、奇跡の積み重ねによってできている」ということです。
そしてその奇跡を支えているのは、特別な薬や知識ではなく、日々のちょっとした選択や習慣なんです。
・朝の空気を吸うこと
・夜は少し早めに布団に入ること
・“もう一杯”をやめておくこと
どれも小さなことだけれど、未来の自分への贈り物になると私は信じています。
「今日はよくがんばったね、私」
そんなふうに自分をねぎらえる日が、一日でも増えますように。
おわりに〜一緒に、健やかな日々を育てていきましょう〜
これから梅雨に入って、気温や湿度の変化で体調も崩しやすくなる時期。
生活リズムも乱れやすくなりますよね。
だからこそ、今回お話しした“養生”の知恵を、ぜひ思い出してみてください。
心と身体にやさしく、日々を整えていくこと。
それは、自分自身を大切にするということでもあります。
これからも、私自身、子どもと一緒に、日々の中で“ちいさな養生”を続けていきたいと思っています。